記号と象徴の違い
今日のゼミは思い返せば思いかえすほど面白かった。
人間とは…っていう定義がいくつか出たんですが、それはあまり発表とは関係のないところでした。でも、そこが一番興味深かったです。
人間とは象徴的動物である。
って言葉があります。この象徴っていうのは記号ではない。
記号っていうのは、例えばトイレマークの男の人、女の人マークがありますよね。あれは「ここは男子トイレ、ここは女子トイレ」っていう記号です。だからそれ自体で説明になっている。
でも例えば鳩って平和の「象徴」ですよね。でも鳩自体は平和ではない。つまり、象徴であるものは、それ自体とは別の観念を持っている。それを考え、受け取れるのが人間だということです。
これを今書いているのは、荻上直子さんの「トイレット」を観た後に見つけたこのページからです。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 荻上直子さんと、『トイレット』のごはん。
糸井
「わたしとあなたの間には愛がある」
っていうのは、ことばとして観念ですから
記号的に言えますけど、
じゃあどこにあるんですか、って言ったら
ないわけですよね。
見える見えないにかかわらずの
やりとりのなかとか、
あるいはそのじぶんの心の動きとかに、
愛の正体っていうのはあるわけで、
そうすると、いまのその
筆の動きとか、ストロークってことも、
そこに起こった事件だと言えるわけで。
それをあじわったひとが、
じぶんも似たものをもっていたら、
音叉と音叉が共振するように鳴りだすんだろうな、っていう。
多分、この「観念」を感じたり考えられたりするのが人間なんだと思います。観たままを受け取るのでなく、その奥にある言葉にできない「何か」を感じる。
しかし、糸井さんってやっぱりただ者じゃないんですね。こんな風に、本人は意識せずとも哲学を、自然体で、柔らかい言葉で紡ぎだす人って羨ましいです。